あめちゃん


大阪弁では飴のことを「あめちゃん」というというとか
何でも「ちゃん、さん」をつけるというのがよく話題になる。
生駒さん、三宝さん、石切さん、等
神社はみんなさん付けになる。
きっと飴も神事に関係があったのではないだろうか?
油揚げを使ったいなり寿司をお稲荷さんという
そこから揚も「あげさん」というのだろう。
でもうんこを「うんこさん」というのは説明できないなぁ。
ウンコには「さん」がつくのにおしっこにはつかない。
「おしっこさん」というのは寡聞にしてしらない。
まことに遺憾ながら、これは差別だ。由々しき問題ですな。
おそらく何がしかの神的、霊的なものを感じ取っている、
あるいはかつては感じていたということだろう。
そしてそういうものには「さん」をつけたと考えていいのかもしれない。
それから、相手に対して「自分」というのがおかしいという意見をよく耳にするが
これは言いがかり因縁の類だ。
たとえば道端で男の子が泣いていたら
「僕どうしたの?」と聞くのは全国的にこれで問題ないはずだ。
お前は僕じゃないとその男の子が言ったら、なにこの憎たらしいガキはと思うだろう。
厳密な二人称は日本語にはないということをお忘れのようだ。
時代劇では「手前」は
商人が使うと自分のことになり、武士が使うときは御をつけると相手のことになりつけないと自分のことになる。
町人は「てめぇー」とこれも相手自分両方に使う。「てめぇのことはてめぇでやる」などといえば自分のこと「てめぇなにいいやがる」などと言えば相手のこと。これは手前が変化したものと勝手に思っているが違うかもしれない。