アホちゃいまんねんパーでんねん


日本語を勉強中の方からの
「アホちゃいまんねんパーでんねん」のどこが面白いのですかという質問を質問掲示板で見かけた。
どこが面白いかの説明はむずかしいなぁ。
思わずほほえましくて笑ってしまった。
答えている方々も語義の解説や語の用法に終始しているように見える。
俺は面白いとは思ったことがないので、俺にはなんとも説明のしようがない。
多分答えている皆さんもそうなのだろう。
特に「パー」の意味がわからないらしい。
そういえば「パー」なんて最近使わない。
頭の横で人差し指をクルクルと二回まわして後、
手のひらを「パー」の状態に広げるジェスチャー
人の知能レベルを馬鹿にする動作としてあり、
その動作をそのまま「クルクルパー」というようになった…
のだろうと思う。
そして、差別表現に世の中が敏感になり始めた時期に
クルクルが省略されてパーだけになったのだろう。
ではその動作はどこから来たのか
ちょっとわからない。
しかし無理やりに推測してみると
外国映画特にアメリカ映画、それも古めのアメリカ映画やアメリカから輸入されたTVドラマなどでは
よく見かけたジェスチャーだ。
ただし、パーの部分はなく控えめに指を回すだけだ。
意味もほぼ日本と同じ意味で使われているようだ。
Wikipediaの記述を信頼するなら、高度経済成長期に出現したらしい。
それなら符合する。
各家庭にテレビが置かれるようになり、そこでアメリカ製のテレビドラマを見る。
日曜洋画劇場で映画も見れる。
そこでこのジェスチャーを真似るようになったのではないか?
(つむじが左に巻いていると馬鹿だという俗説から、その左巻きの意味で指を回すのだという説をどこかで読むか聞くかした覚えがあるがこれは後付だろう。)
でもクルクルの部分だけで「パー」の部分が説明できない。
もともとそういうジェスチャーがそういう意味として日本にあったのか
あるいは外来のものか…。
幼児に対して「いないいないばぁ」などとやるときに手のひらを広げる動作をする。
つまり、大人を幼児扱いすることで揶揄しているのかもしれない。
また、すべてがだめになるという意味で使われる「ぱあになる」の「ぱあ」からきたのかもしれない。
「パー」がどこから来たにせよ1960年代ごろに成立したという仮説に立てば
日本人の生活の欧米化の始まりの象徴であるといえるかもしれない。
「アホ」というきわめて関西的な古い言葉と「パー」という新しく成立した
日本経済成長、生活様式の欧米化の象徴としての「パー」を対比することによって
面白みを出そうとしたのかもしれない。
また、当時、関西芸人が全国ネットのゴールデンの番組のメインレギュラーなど
ありえない時代だった。
明石家さんまは関西芸人の全国ネット進出の先駆であった。
そして、年代的には高度経済成長の真っ只中に成長した一人である。
「アホ」と「パー」を同時に自分のアイデンティティーと見せることで
関西人ではあるけれど、高度経済成長の申し子であることは全国の皆さんと同じですよ
ということを深層に訴えかける全国ネット進出に向けた高度に戦略的なギャグであったのだなどという高度な仮説も可能であろう。