選手が可哀そう


高校で野球部に入る。特に名門の野球部を目指すような子供は、目標は甲子園だろう。
甲子園を目指すとは、高校野球という組織の中で生きる道を選んだということだ。
おそらく、他のスポーツを選んだ高校生よりも優遇され、えらそうにできる場面も多いだろう。
いいところだけは頂いて、都合の悪いことは勘弁してくださいなどということを許したら、この子達の将来のためにならない。
組織が認める大会で、組織の認めるルールに則って勝つから意味があるのである。価値があるのである。
だから、組織の決定が、優勝の取り消しならば、仕方がない。可哀そうなことは少しもない。
そんなことより重要なのは、組織がきちんと機能しているかどうかである。
これをなし崩し的に許してしまえば、組織の整合性がなくなってしまう。そちらのほうが問題だ。いい加減ななんでもありの組織の中で、勝ったの負けたの言っても、むなしいだけだ。
組織がいやなら、勝手に一人でやれ。それはそれでイバラの道だが、立派なことだ。
勝ち負けも自分で決め、ルールも自分で決める。行動を評価するのも自分だ。
かなり頭が良くないとこれは無理。