評論


評論は創作ではない。
創作は、何もないところから作るものであり、評論は創られたもの、つまりある作品に対して適当な自分の思い込みを語るだけである。
こんなものは創作ではない。
こういうと、作品も、剽窃で成り立ってい、その大部分は借り物であるという反論があるだろう。
しかし、過去の作品の、つまり先人の膨大な業績の海は、言葉と同じで共通の基盤であり、評論が対象とする個々の作品は共通の基盤ではありえない。個々の作品は個人に帰するものであるからだ。
つまり、言葉を使ったからといって、他人の褌で相撲をとっているとは誰も言わない。
しかし、評論といわれているものは、共通の基盤には乗っかっていない。あくまでも対象は個々の他人の創ったものである。他人の褌で相撲をとっている以外の何ものでもない。
そういうものは創作とは言わない。
実は、評論というものも存在しない。
論とは体系がなければならない。体系とは、たとえて言えば建物で、建物は基礎の上に構築される。その基礎とは共通の基盤である。こういうものは論と名乗ってはいけない。
つまり、あるのは、感想だけである。
ああ、面白かったとか、なんかビミョーとか、なんかつまらんかったとかそういうものしかありえない。