ヤンキー先生


ヤンキー先生
ヤンキーが先生になれるのだろうか。
ヤンキーをやめたから教師になれたのではなかろうか?
ならば、もうやめてしまったことを
いつまでも看板にしているのは男らしくない。
みっともない。
過去にヤンキーだったからといって
特別視されてしかるべきような何かがあるのだろうか?
どんな境遇にあってもぐれない人はぐれない。
どんな不幸の中にあってもまじめにまっとうに生きるしかできない人はそうする。
どうして悪から更生すると注目されるのだろう。
不幸な境遇の中で一度もぐれない人は存在してはいけないのだろうか。
悪いことをしないのは普通のことでつまらないから注目されない。
ということなのだろう。
その程度の普通のこともできなかった奴が何を偉そうにゴタクを並べるのか。
うるさいから黙ってろ。
悪いことをして反省した人間より一度も悪いことをしたことが無い人間のほうが
偉いのは当たり前のこととは思わないのだろうか。
反省したからといって過去が消えるものではない。
本当に悪いことをしたと後悔しているのなら
過去を隠すのが常人の神経だ。
ヤンキー先生なんて呼ばれて平気でいられる神経は
常人のものではない。
あるいはヤンキーであったことを内心は自慢に思っているかだ。
ヤンキーと名乗るからには
リーゼントでタバコを吸いながらウンコ座りで授業をして
生意気な生徒をボコボコにする位はしてほしいものだ。