なみおか映画祭中止


なみおか映画祭が青森市教委の横槍で中止に追いやられた。
日活ロマンポルノを上映することが槍玉にあがったらしい。
こういう市民的な活動を俺は好まぬが
横槍の入り方が気に食わぬ。

(東奥ニュースより引用)

市教委の古山善猛教育部長は「芸術は否定しないが、地方の教育委員会が推薦できる内容ではない。住民の理解が得られない」と話す。

「芸術性は否定しない」ってあんた…芸術とはいかがわしいものだ。芸術を勘違いしていないか?時として反モラルとして現れるのが芸術だ。破壊と生成の界面に生まれるアブクのようなものが芸術だ。芸術が社会に都合の良いものばかりとは限らない。そこら辺の覚悟がなければ芸術擁護などあり得ない。
「推奨できる内容ではない」とは何事か
映画館など昔は不良の溜まり場であったらしい。大体興行などというものは本来いかがわしいものだ。そんなことを言うのなら、映画自体が教育委員会が推薦するにふさわしくない。
「住民の理解が得られない」いつどこでどのように住民に聞いたのだろうか。俺は教育委員会から意見を求められたことは今までの人生で一度もない。大体お前ら住民の意見とやらを今まで一度でも聞いたことがあるのか?。バカじゃねーの。
要するに自分たちの言いなりにならない連中をつぶしたかっただけなのは明白である。
まああれだ、芸術なんて教育には不要なわけだが。
教育的なものから堕ちこぼれたところに芸術の花は咲くのですよ。



東奥ニュース
毎日新聞
怒りの声
なみおか映画祭


現在のハリウッドの巨匠と呼ばれる人たちが、
過去の名作大作だけをみて育ったはずはないと思う。
それは彼らの映画を見ればわかる。
いろいろなクズ映画からインスパイアされたと思しきシーンを見ることができる。
発想とは
パターンの蓄積とそこからの飛躍である。
人間はパターンの蓄積なくして飛躍はない。
また、いくらパターンを蓄積しても飛躍なくして新しい発想は生まれない。
クズも名作も分け隔てなく愛し、たくさんの映画を見ていることが
映画文化を理解する上では必要だ。
名作しか見たことがないような映画監督は
かえって二番煎じしか作れないだろう。