漢字の字体


日本語における漢字字体はその使われる場面で使い分けられてきた。
書き文字と印刷とでは同じ字にぜんぜん違う字体を用いながら平気で同じ文字と認識している。
バカなのか柔軟なのかわからないが日本語においてはその方が便利だからそのようになったのだろう。
手で書くとき、画数のやたら多い漢字、形を取りにくい漢字は書きやすいように省略変形されるのは普通のこと。
また、筆記具によってもその筆記具で書きやすいように変形する。
たとえば、丸文字やイラスト文字は毛筆や羽根ペンしか筆記具のなかった時代にはありえなかった。
ロットリングは高価であったが、安価なグラフィックペンやマーカーペンが普及するにいたってあのような字形が生まれた。
あの手のペンでは紙に対してペンを立てた状態で短く持って力を入れて書かねばならず、指に力が入るので線に伸びがなくまるっちい字になるのは必然であるように思える。
パソコン上では文字コードに文字を割り当てているらしい。
そのときに、じつは同じ文字にたくさんのバリエーションがあり、そのそれぞれが実用的に使い分けられているということが看過されたためにわれわれは不便を感じるのだろう。
翻って考えてみるとパソコンのディスプレイ上では現状略字のほうが見やすい。パソコンにはパソコンのための字体があってもいいように思える。しかし、そこで問題になるのはパソコンで何でもやろうとするので今までの字体が駆逐されてしまうことだ。
俺が一番被害にあっていることは映画字幕だ。映画字幕には視認性を高めるために独自の文字がある。画数が多く瞬間的に読むのが困難な字は字幕独特の略字が使われていたがパソコンでは表記できない。もちろん印刷活字にもなかったであろうがここでで問題なのはコンピュータで字幕を作るようになってあの慣れ親しんだ字幕独特の文字が消えてしまったことだ。俳優の演技や美しいシーンを観賞しながら目の端で字幕を追うためにはあの独特の字体が都合が良かった。
世界標準ではローマ字やそれに準じた字体や読みの揺れのない文字が多数派でその感覚に引っ張られて一つのコードに収めなければならないという無理を強いられた。