引用

引用を洪水のようにちりばめて
溺れさせようとする。
こういう表現手法は昔からあり
自分は結構こういうのも嫌いではない。
カンフーハッスル』と『イノセンス』を見て
どちらも引用の洪水映画だと思った。
カンフーハッスル』は過去の映画の場面の引用がこれでもかと現れる。
それは決して、パロディではなくチャウ・シンチー監督なりの回答であると思う。
冒頭の場面から本編映画の香りが立ち込め
豚小屋街でそのにおいたつような活動写真の香りは最高潮になる。
それに引き換え『イノセンス』のさまざまなテキストの引用には
押井守監督なりの回答がない。
ただそこに貼り付けられているだけだ。
イメージの洪水も何も芳香を発せずそこに張り付いているだけだ。
ここでいう回答とは理解して答えを出すということではない。
そこから得た霊感により発せられる「気」のことである。
もちろんテキストと映像は違う。しかし、通低する部分があるからわれわれは認識できる
のであるはずだ、と思う。
アラマキは言う
「理解とはおおむね希望に基づくものだ」
だから理解を拒絶しているのだろうか…
ただ独り歩めとはそういうことなのだ……
ろうか。
命を吹き込まれていない引用たちが晒す無残。
どうやら、懐疑から逃れることはできないらしい。
でも、命を吹き込むことは試してみるべきだと思う。



押井守作品は出るぞ出るぞと期待させておいて引っ張って
最後まで何も出ない
そんな話ばっかりで辟易させられ
それ以来見ないことにしているのだが
攻殻機動隊』のアニメ化ということであれば
やはり気になってみてしまう。
前作『Ghost in The Shell』も従来どおり何も出なくて
まだ同じことをやっているのかと苦笑いしてしまったのだが
今回は、結構、いろいろ出てきたので
押井作品を初めて楽しんで見た。
何がしかの覚悟は伝わってきたからだ。