人間は何のために生まれてくるのか


時々、愚にもつかないことを考えてしまう。
病や事故で幼くして死んで行かねばならない子供もいれば
もういい加減に飽きないか?というくらい長生きする人もいる。
それぞれに与えられた運命を生きるしかない。
自分にとってはそれが全てだ。
宝くじに当たる確率は誤差程度でほとんどゼロらしい。
それでも抽選がイカサマでなければ、当選する人は必ずいる。
当選した人も外れた人も自分に与えられた結果が全てである。
最近は癌の手術をする場合、5年生存率などという。
たとえば、5年生存率が80パーセントと医師から説明されたとしよう。
残りの20パーセントに入る確率はおそらく説明してくれない。
ここでもやはり自分に与えられた結果が全てである。
全体で見れば80パーセントでも、自分にどういう結果がもたらされるかはやはり五分五分である。
もちろんシステムを考える場合には統計は有効である。
しかしその場合、個々人の生き死には考えられていない。
とはいえ、90パーセント墜落しない飛行機より99.9999パーセント墜落しない飛行機に乗りたいのが人情である。それでも事故は起こり、死んだ人にとってはその結果が100パーセントだ。
結局、どう転んでも自分に起こったことが全てで、それを受け入れるしか道はない。
なんかいい加減なような気もするが、これ以上考えようとしても考えがまとまらない。
自分に何が起こるかは、実は選べないのではないかと思い出すと
何のために生まれてくるのだろうなどとさらに愚にもつかない方向へと考えが進んでしまう。